おおむね似たようなことを目指しているのだろうと思うのに、なにかちょっとしたことが原因で共感できないことがたまあにある。
方向性や考え方は似ているし、信頼できる友人も良いとすすめてくれているのに、
利害関係もまったくないのに、
ほんの少し、ちょーっと違うところがあるというだけで、
違ったものに感じてしまうなにかがあるときに、素直な気持ちになれない自分がいる。
多少の違いは受容して応援してあげることを良しとしているのだけれど、すぐにはそういう気持ちになれない。
ということが、久々にありました。
そういうときに、
オレってまだまだ超超腸メチャクチャ器が小さいよなぁ…。
と思う。
いつも人には、ちょっとした違いを云々するよりも、共通点を見いだして応援し合おうなどと、エラそうなことを言っているのにだ…。
アグリーなところがたくさんあるのに、ちょっとした違いばかりに気持ちがいってしまうというのは、きっと自分に自信がないからだと思う。
「NOからの解放ゲーム」をつくってプレイして、否定することから解放されよう!
肯定することの大切さをひとさまに進めているのにもかかわらずだ。
というか、そこまでして否定から解放されようとしても解放しきれないほどに、
否定の気持ちというのは根深いものがあるのだろう。
こういうときは、
瞑想をしたり、自然の中で内省をしてみたり、
共感できるはずなのに、共感しきれない相手とのコミュニケーションの機会をもっと増やすことで解決できる場合が多いと思うので、それを実行してみようと思う。
さらには、相違点がなにであるのかはおおむね明確になっているのだが、
その相違点についての自分の考えの根拠や自信が、完全に持ちきれていないのだろうとも思ったりもする。
いまは、こういう気持ちを抱えたまま、つまりそれを否定や肯定、評価もせず、ただそのまま保留した状態にしておこうと思う。
このつづきは明日
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって今日も昨日よりマシな一日でありますように(*゚▽゚*)