父と姉の墓参り

今日は父と姉のお墓参りに行く。

 

ほぼ毎月母と妻とぼくの三人でお墓参りに行っている。

実家からクルマで5分。歩いても20分とかからない便利な場所にお墓を買って父はほどなく病に倒れ、数年後に亡くなった。

 

 

 

父はぼくが子どもの頃は大手外資系石油会社のサラリーマンで、

 

“トラキチ”つまり阪神がこよなく好きで、

 

仕事だといってとにかくゴルフばかりしていた。

 

TVはニュースかスポーツかドキュメンタリー番組ばかり見ていた。

 

阪神が負けるとスーパー機嫌が悪くなり、家中の空気がものすごく暗くなった。

 

さらに体調が不安定で、しょっちゅう頭が痛いとか、腰が痛いといって寝込んでいて、

 

バカなぼくはそのことを忘れてはしゃいで走り回ってメチャクチャ怒鳴られたりしていた(*`Д´*)

 

とはいえ、父は“弱きを助け、強きをくじく”という正義感の強い人だった記憶がある。

 

 

 

ぼくはといえば、

 

1700グラムしかない未熟児で生まれて、

 

3歳くらいまでになんども死にそうになったりしたおかげで!?

 

甘ったれで、内弁慶で超腸兆メチャクチャ落ち着きがなく、

 

木のぼりをしたり、屋根にのぼったり、走りまわったり、虫取りをしたり、

 

毎日学校の帰りにガラクタをひろってきたり、

 

両親とデパートに買い物に行けば、たくさん吊してあった洋服の下をくぐり抜けるのが大好きで、

 

迷子になっても泣かないのでなかなか見つからず、

 

球技が苦手だったので父からキャッチボールをやろうと誘われても見向きもせず、

 

近所の女の子とお医者さんごっこをしてその子の親から叱られたり、

 

家の裏の鉄道の線路に土管をおいて列車を脱線させようとして警察が捜査に来たり、

 

絶対にさわってはいけないといわれていた畳屋さんの針で遊んで黒目を刺したり(あやうく失明(^0^;))、

 

こうやって自分で書いていても、こういうこどもが自分にいたら、超めんどくせぇしメチャクチャムカツクかもと思う。

 

 

 

その上、小学校5年くらいのときに、

 

「ぼくは絶対にパパみたいなサラリーマンにはならないからね!」と生意気なことを父に言い放ったことさえ覚えている。(まあ確かにサラリーマンにはなっていないというか、なれなかったのだが…)

 

 

 

 

母によると、

 

父はぼくがどこの大学に入ったのかもしばらく知らなかったらしいが、

 

ぼくが父にもっとも感謝したいことが二つある。

 

 

 

一.父は自分のこどもにはあまり興味がなかったらしいが、ぼくの進路にはいっさい口出しをせず、わけのわからない美大(それも絵画科)の高い学費をだしてくれたこと。

 

二.ぼくの会社がつぶれそうになったときに実家の土地を担保提供はしてくれたが、万が一のときに母が困るようなことは絶対にできないといって連帯保証人にはなってくれなかったことだ。

 

父は母のことをこよなく愛していたのだと思う。

 

会社のメンバーや取引先、親身になって協力してくれた方々のおかげであるのはもちろんのことだが、

ぼくはそのこともあり、これ以上母を悲しませてはいけないとも思い、おかげさまでがんばれて再建できたと思っている。

 

あのとき、父が連帯保証人になっていたら、いま母やぼくら夫婦が住んでいる実家の土地もなくなっていたかもしれない…。

 

 

 

実は父には最後までこの気持ちを伝えられなかったのが心残りだ。

 

この期におよんでうんちマンとして生きているぼくを見たら父はなんといっていただろう…。

 

 

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

今日も昨日よりもっと素敵な一日になりますように(^ー^)v

 

P.S.

ぼくの生き方を変えてくれた姉のことは以前ブログに書いたので良かったらどうぞ。

みなさんもたまにはお墓参りに行くと良いかもですヽ(´ー`)ノ