亡き姉との思い出

先日、以前住んでいた借家の管理会社から電話があり、亡き姉のアルバムが見つかったので送るとのことでした。その家から引っ越したのはもう1年以上も前で、なんで今頃見つかったのか不思議でした。

 

姉は環境系の財団で国際会議などをオーガナイズする仕事をしており、亡くなった後にアメリカの環境系の団体から賞をいただいたくらい優秀な人で、当時アメリカなどで姉と一緒に仕事をしていた方々が作ってくださったとても心のこもった追悼アルバムでした。母の部屋にしまってあったと思っていましたし、引っ越すときにもくまなくチェックをし、管理会社もチェックしていただろうと思うのですが、なぜか今頃見つかって送っていただいたアルバムなのです。

 

姉とぼくは二つ違いで、ぼくは未熟児として生まれ、3歳くらいまでに何度も死にそうな病気にかかったり、後遺症が残ってもおかしくないような怪我をしたりしていたそうです。畳の張り替えのために家に来ていた畳屋さんの針で遊んでいて自分の目を刺したこともあったようです。とにかく、さわっちゃいけないと言われるとどうしてもさわって遊びたくなる、人の言うことをきかず、我慢もできないバカな子でした。

 

その上ぼくは人一倍甘えん坊で甘ったれでした。おかげで母はぼくにかかりっきりだったのでしょう。姉は母から『お姉ちゃんなんだから良い子にしててね』といわれ、姉は母から褒められたいのでいつも我慢をして良い子を装っていたのですが、本当は母に甘えたかったのでしょう。父はといえば、自らと家族のためにがむしゃらに仕事をしていたために、子供には必要以上にはかまわなかったようでした。結果、姉は愛情に飢えていたのだろうと思います。

 

姉からすれば、弟のぼくに大好きな母の愛情を横取りされたような気持ちだったのだろうと思います。ぼくはいつも母の膝の上を独占していたように記憶していますし、従ってぼくは姉からはいつもうとまれていたように記憶しています。いまから思えば、うとまれて、じゃま者扱いされてもしかたがなかったと思います。

 

姉は子供の頃からスポーツ万能、成績はトップクラスでいつも学級委員長をしていました。ぼくはといえば、小学校低学年まではクラスにいてもいなくてもわからないような存在感のない、成績もソコソコでなんの特徴もない引っ込み思案の子供で、いつも姉の弟と呼ばれていました。姉は、なにをやってもかなわない太陽のようなまぶしい存在でした。

 

大人になり、ぼくが実家をでて結婚した後に、姉は離婚をして息子を連れて実家に戻ってきました。父と母は孫かわいさもあり、姉を受け入れました。うとまれ続けていたぼくは、ぼくら夫婦が実家に行くと姉と母の関係が極めて悪化するために、徐々に実家から遠ざかるようになりました。

 

その後、父が亡くなり、母と姉と姉の息子(甥)の3人暮らしとなりました。病床にありながらも、それまでは一家の重しとなっていた父の存在がなくなったことで、母と姉の関係はよりいっそう悪化したように思われました。ぼくはこのままでは家庭内で万が一の事故が発生してもおかしくないという危機感から、それまであまり気にかけていなかった家族の絆や大切さということを考えるようになり、母と姉の関係を改善することが自分のライフワークだと確信しました。

 

それから、なんらか問題解決の糸口を見つけようとして、それまではあまり読んだことがなかった心理学、哲学、自己啓発、宗教などの本を読んだり、なにか解決策を知っていそうな人に訊いて回りました。その中でハワイの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」というものに出会い、“人は変えられないが自分は変えられる。自分が変われば結果として人を変えることも出来るかもしれない”ということを学びました。

 

ぼくにとってこれを知ったことは大きく、そこから大変に遅ればせながら自分自身の過去を省みて、自分自身の本来の在り方がどうであることが、姉や母のために、しいては自分にとっても望ましいのかを考え、行動するように心がけたつもりでした。

 

そこから、さらに斎藤一人さんのことを知り、YoutubeにたくさんUPされているお話しを数え切れないほど聴いたり、著書を読んだりしていました。

 

そこへ、なんと姉からとても珍しくメールがあり、姉からTEDの動画を薦められ、それをきっかけに斎藤一人さんのことを姉とも母とも共有して、頻繁にお互いを高め合うようなメールのやりとりなどするようになりました。

 

そうだ、一緒に父のお墓参りに行こう!ということになり、妻も同行するはずだったのですが、急に都合が悪くなり、姉と母とぼくの三人でクルマにのって墓参りに行き、その帰りに岡本の西庵カフェというお気に入りの店で美味しいおそばとお茶をしながら、もう本当に人生ではじめてと言っても良いくらい和やかで母子兄弟三人がお互いに癒やされ、筆舌に尽くし難いほど奇跡的に素晴らしい時間を共にすることができました。きっと天国から父も見守ってくれていたのだと思います。

 

ところが、その二ヶ月後に姉は急逝してしまいました。あまりに思いがけず、突然のことで、もうなぜなのか、どう受け止めて良いかわかりませんでしたが、現実に姉は逝ってしまい、いまは父と同じお墓に入っています。

 

姉が亡くなる前に姉と母とぼくの三人で過ごした奇跡のようなひとときは、きっと神様からの贈り物だったのかもしれません。いまでも忘れられず、一生忘れることはありません。まさに掛け替えのない宝物のような思い出となりました。

 

人の人生とは実に不思議なものですが、来世というものがあるのなら、姉がたくさんの愛に包まれて幸せに暮らしていることを心から願い、祈っています。

 

長文をここまで読んでくださってありがとうございます。

 

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コメント: 1
  • #1

    堀口 陽子 (日曜日, 29 5月 2016 15:16)

    小関弟さま
    以前、眞由美さんと一緒に仕事をさせていただいていました。見つけていただいアルバムは、今はベルギーにいる元同僚が作成したものです。
    毎年春になると、眞由美さんのことを思い出します。どうしてあんなに突然、急いで逝ってしまったのかと。
    素敵な家族の思い出話、拝読させていただきました。なぜか安心してお父様の所に行きたくなったのかもしれませんね。
    今頃きっと天国では沢山の世界中のお友達に囲まれて、楽しく過ごしていると思います。