マネジメントの生態系!?信頼と最適化

先日岩田さん(元任天堂社長の故岩田聡氏)のことをしのぶ長文の対談を読む機会があり、あらためて岩田さんの凄まじい才能と人間力の凄さに驚嘆しました。

 

世界トップクラスの天才プログラマー兼エンジニアであり、比類なきほどの人格者だったということを、あらためて認識することができました。

 

ところで、

 

「ティール組織」 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現~をまだ読書中なのですが、

 

岩田さんがされていたこととティール組織に通底する部分もかなりあることがわかってきました。

 

それは、

 

「信頼と最適化」だと思います。

 

人は信頼されれば

必ずその信頼に応えたい

という気持ちになります。

 

とはいえ、もちろん失敗することもありますが、それでも信じて待っていれば、必ず結果をだせるようになります。

 

これは僭越ながら、自分自身の実体験でもあります。

 

 

人は上から、信頼されず、失敗するんじゃないかと、いちいち管理されると、とたんにやる気をなくすのです。

 

子どもの頃に宿題をしようと思っていたら、母親から『宿題やったの!?』ときかれると「いまやろうとおもってたのにぃ…」とやる気をなくしたという経験は少なからず覚えがあるんじゃないでしょうか?

 

 

 

『職場で言われて、やる気をなくした22の言葉』

というページの中から

自分が過去に部下に言った覚えのある

言葉です。

本当に申し訳ないことをしました。

ゴメンナサイ<(_ _)>

 

「やる気ある?」

「言ってる意味わかる?」

「なんでこんなこともできないの?」

「使えないなあ」

「ちゃんと考えた?」

「真面目にやってる?」

「言われたことだけやってればいいんだ」

「前にも言ったよね?」

「何度も同じことを言わせるな」

「もういい」

「お前は気楽でいいよな」

「そんなこと常識でしょ?」

「期待した俺がバカだった」

「ありえないでしょ」

「はあ・・・(ため息)」

「言い訳はいいからやって」

 

自分だ言われたらかなりギャフンとなってやる気をなくすようにことを、なぜ上司は部下に言ってしまうのでしょうか?

 

 

 

それは、恐れから

人を(自分さえ)信頼できないことが

もっとも大きな原因だと思います。

 

 

部下や同僚が失敗したら

 

自分が損をする。

 

自分が責任をとらなければならない。

 

自分が責任をとらされる。

 

不利な立場に追いやられる。

 

左遷され、閑職に追いやられ

 

…とありもしない

 

未来の不安に捕らわれます。

 

 

つまり、

 

自分が危機的な状況になることへの

 

恐れ

 

から発生するのだと思います。

 

 

信頼とは

 

信じて

 

頼る

 

信じて頼れば

 

必ず返してくれます。

 

 

 

最適化については

 

岩田さんは、

プログラミングも人間関係についても最適化の天才だったと思いますが、

 

多くの人たちは

 

信じて頼れば

 

勝手に最適化されていくことが

多いのだと思います。

 

 

 

学生の頃のぼくの目には

多くの働いている人たちが

つまらなそうに見えたので

才能のない人たちが

お金を稼ぐために

やむを得ず労働をしているのだな

と素朴に思っていました。

 

しかし実態は

 

働かせている一握りの人たちが

恐れからくる不信感によって

本来なら才能や個性のある

ひとりひとりの人たちを

労働者というコストとしてとらえ

失敗しないかと常に見張り

上から目線で管理するからこそ

才能や個性が消耗していくのだと

いうことがわかってきました。

 

中間管理職の人たちは

上からの恐れの連鎖によって

自分もまた部下を信頼せず

管理しなければならない

という思いに

捕らわれてしまうのでしょう。

 

このテーマは

この世の中や人々の潜在意識に

深く横たわっていて

とても深く長く

解決するのに一生を費やしても

良いくらいのテーマだと思います。

 

 

 

 

今日もここまで読んでくださって

本当にありがとうございました。

 

みなさんにとって心安らぐことがたくさんある素敵な週末でありますように(*゚▽゚*)

 

 

P.S.

まったく勝手な想像ですが、

岩田さんがなぜ病気になられて

若くして死に至ってしまったのか?

 

それは、

 

ご自身の生物としての限界を省みず

仕事での課題や問題や人間関係を

最適化のしすぎて

ご自分自身の精神と肉体の最適化を

怠ってしまったのではないかと

思うのであります。

 

本当に人類にとって惜しかった、

といっても良いほどに惜しい方を亡くしたと思います。

 

心からご冥福をお祈り申し上げます。