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ひだまりに世界が狭いと諭される

妻のひだまりのことをブログに書こうとするといつも『書いちゃダメ!』と止められる。

 

今日もひだまりのことを書こうとしていたら『そんなことじゃ世界が狭い!』と叱られた…。

 

つまり、なんども書いて嫌がられたので、こんな風に書こうと思うんだけど良いかな!?とちゃんと確認してから書いたり、ブログタイトルでは分からないようにして密かに書いたりしているのだ。

 

 

 

ひだまりが言うように確かにぼくは世界が狭いと思う、というよりも、狭かったと思う。

 

1.自分の興味のあること以外は見向きもしない。

 

2.例えば、昔から旅行に行くことにあまり興味が持てないので目的がなければほとんど行かない。

 

3.興味のある人以外には会わない。

 

 

 

うんちマンになる前は確かにこんな感じだったことは否めない。

 

いまでもあまり変わっていない面もあるが、

 

圧倒的に変わったのは「来る者は拒まず、去る者は追わず」になったことだろう。

 

うんちマンとして生きていると自分の好き嫌いにかかわらず、

 

うんちマンに興味をもった人はどんどん向こうから来てくださる。

 

なので、来てくださる方は受け入れさせていただく。

 

またうんちマンに興味を失って去って行く人を止めないしとがめない。

 

 

 

これによってうんちマン前と比べるとかなり生きる世界は広がったように思うのだが、ひだまりから見るとまだまだ狭いのだと思う。

 

なぜならば、ぼくが毎日接している彼女はもの凄くイイカンジだから。

 

ひだまりのご機嫌が悪いときをほとんど見たことも感じたこともないからだ。

 

さらに、それはぼくに対してだけでなく、誰に対しても同じようにイイカンジなのである。きっと。

 

なので、ぼくはイイカンジのひだまりに接すると、思わず「家歌(かか)」というわが家に伝わるというか、ぼくがひだまりを○するあまり、思わずその心境を口ずさんでしまうファミリーソングを歌ってしまう。

 

だが、その内容は門外不出の秘密だ。

 

 

 

今日もここまでたわいのない文章を読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も自分の世界が少しでも広まったり、深まったりする一日でありますように(*゚▽゚*)