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肯定的、もしくはすべてを受け入れるという生き方について

ぼくはこれでも肯定的ですべてを受け入れようという生き方をしているつもりだ。

 

それは否定や反対をしないということ。

 

イヤだなー!と思うこともやせ我慢して受け入れるということ。

 

 

 

先日友達女子と話をしていたら、私も受け入れようとして生きているんだけれど、そうしていると流されてしまうよと、ハイヤーセルフがわかったりするスピ系の人に個人セッションでいわれたのだという。

 

ちゃんと自分を持っている人じゃないと、すべてを受け入れていると流されてしまうのだそうだ。

 

 

 

なるほどーと、

 

それを受けて我が身を振り返ってみた!

 

はたしてオレは自分があるのだろうか!?(^^ゞ

 

うんちマンという超腸兆メチャクチャ個性的な生き方をしているものの、

 

うんちマン以外でそんなにブレない自分があるとも思えないがなぁ…。

 

 

 

最近、ぼくは隠居だといわれることもある。

 

まあ、設定として358歳だからそう思われても無理はないし、

 

事実上ほとんどお金のために働いていないのだからそのとおりだとも思う。

 

 

 

敬愛している糸井重里さんが、

 

以前は『ほぼ日ってようするに手帳屋さんですよね!?』って人にいわれると、ちょっと嬉しくないなぁという気持ちになっていたけれど、

 

いまは素直に手帳屋だと思えるとのことでした。

 

 

 

ぼくもそろそろ『うんちマンってなんだかんだって隠居したんだよね!?』といわれても、

 

そうだね!UNG(うん爺)だからねヽ(´ー`)ノ

 

ってもっと素直に受け入れられるようになろうと思う!

 

 

 

ぼくは、イヤだなー!と思うことも、

 

そのイヤなことの肯定的な面を捉えて、

 

そのイヤなことを受け入れて、のみ込んで、乗り越えれば、

 

自分が成長できると思っているし、

 

違う景色が見えてくるとも思っています。

 

 

 

また否定するよりも、

 

いったんは受け入れて、

 

創意工夫をして、

 

別の選択肢を提案することで、

 

否定し合って争いになるようなお互いの関係性を緩和できると思います。

 

 

 

また、本当の自分ってなんだろうと考えたときに、

 

うんちマンはぼくと≒だけど、

 

うんちマンはぼくそのものではありません。

 

 

 

なのでうんちマンで在ることを否定されたとしても、それを受け入れたいと思っています。

 

 

 

ぼくはうんちマンに依存せず、

 

ぼくはぼくとして在って、

 

とはいえ、うんちマンも楽しんでいきたい!

 

そう思っています。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日もより自分らしい一日でありますように(^∧^)