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人は誰でもいつこの世を去るかわからない。だから日々…

昨日のブログで仲良くさせてもらっていた高校生起業家の高山翔君が亡くなったことを書かせてもらいましたが、人はいつなんどき急にこの世を去るかわからないと思います。

 

過去数年で、自分の家族含め友人の家族で、不意に、本当に何故この子がこの人が!?という感じで、3人の子どもと2人の大人がこの世を去りました。

 

その間、意外にも不思議と親戚の高齢者はみな健在です。

 

順番からいえば、高齢者が先に他界していくのが自然だと思っていましたし、統計的にはそうなっているのだと思います。

 

 

 

 

ぼくの友人達は総じてとても愛に溢れたイイカンジの人達です。

 

そういう友人の子どもや家族が不意にこの世を去って行きました。

 

ということは、ぼくだって妻のひだまりだって、いつ不意にこの世を去ってしまうかもしれないと思うのです。

 

母のテコちゃんはなにひとつ不自由のない生活をしていますが、自分は生きていても誰のなんの役にも立っていないので、早く死にたいと言っています。

 

生きていてくれるだけで良いんだよ!と言いますが、

 

毎日がつまらなく、友達もどんどん他界したり病に倒れたりしていて話し相手もいなくて、やりたいこともないので、生きている意味がないと言います。

 

手は尽くしているつもりですが、

 

徐々にひきこもりがちになってきている母に、もっと優しくしなくっちゃなぁと思いますが、世の中皮肉なものだなぁとも思います。

 

早くこの世を去りたがっている人は、毎日を粛々と生き続け、

 

やりたいことがたくさんあり、これからの人生の可能性に充ち満ちている人は、不意にこの世を去ってしまう。

 

 

 

そう、この世の中は、自分の思いどおりにはならないものなのだと思います。

 

ならば、思わなければ良いのだと、

 

自分のことを応援してくれる人から頼まれたことを、日々いまこの瞬間を大切にして精一杯に一所懸命にやりきる!

 

そうすれば悔いなく幸せに生きられる。

 

その連続の先に自分や自分を応援してくれる人のさらなる幸せがあると及ばずながら思っています。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も悔いのない一日でありますように。

 

P.S.

今晩は高山翔君のお通夜です。言葉にならぬほど残念ですが、最後のお別れにいってまいります。