· 

老いるということ

最近話題になっているFaceAppという、顔を老けたり若返らせたりできるアプリです。

 

デーモン閣下のように年齢を358歳などと公言しているうんちマンですが、この写真は中央がリアルに今年成見家の空くんと一緒に撮った写真で、左が若返りエフェクト、右がCool Oldというエフェクトです!

 

まあ、確かに良く出来ていますよね!

 

このアプリのみならず、個人情報の流用には十分に注意をした方が良いというWIREDの記事があります!

 

老け顔アプリ「FaceApp」への過剰反応は、“もっと大きな危険”を覆い隠すことになる

 

ですから、ぼくみたいに使う人はそのつもりで利用してくださいねヽ(´ー`)ノ

 

 

 

さて、このブログのタイトルの「老いるということ」は、人は誰でも確実に障がい当事者になっていくんだということを、過去数年の高齢の母の生活を見守っているとよく理解できます。

 

これは誰にでも平等に発生する障がいだということをよく認識しておいた方が良いと思います。

 

足腰が徐々に弱ってくる

3~4年前までは階段の上り下りも普通にできていたのだが、徐々にできなくなり、いまは5~6段くらいの階段を手摺りを使ってやっとできる程度に衰えました。 

同じく数年前までは一日一回は散歩に出かけていましたが、いまはほとんど散歩することもなくなっています。

 

とはいえ、ショッピング大好き人間なので、まだ一人で渋谷あたりまで買い物に行ったりしています。

 

 

記憶力が衰えてくる

今年、かかりつけのお医者さんで認知症の簡易チェックテストをしたら、認知症のうたがいがあったのでMRIの検査をしたら、その可能性は低いという検査結果がでて、本人はきわめて得意げでしたが、明らかに物忘れは多くなっていると思います。

 

主に食品ですが、すでに買ってある食材を忘れてまた買ってしまうことはしばしばです。余った食材はぼくたち夫婦ができるだけ活用するようにはしていますが、それも限界があり、残念な気持ちになってしまいます。

 

 

耳が遠くなってくる

やはりここ数年でかなり悪化しており、補聴器をしていないとかなり聞こえなくなりました。

 

 

気分の移り変わりが激しくなってくる!?

実はこれは若い頃からという説もありますが、ここ数年はよりいっそう激しくなってきているような気がします。

 

 

死にたがる 

なに不自由のない生活をしていて、息子夫婦とも二世帯住宅的な同居をしているのですが、お友達は亡くなったり、認知症や病気になったり、やはり同じく足腰が弱って会う機会が減っていて、とにかくどんどん孤独になってつまらない、だったらああすれば、こうしてみたら、といろいろと提案しても、なにをするのも面倒くさいということです。

 

平均的な高齢者にくらべてかなり恵まれていると思う母でさえこういう状況です。遅かれ早かれ、誰の身にもこのような障がい!?が降りかかるという認識をもって生きていきたいものです。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

4、5年前から母と一緒に暮らすようになり、それまでにない学びが得られることが幸いと思っています。