子どもの頃にはよくトランプでババ抜きや七並べをしたりしましたよね!?
大人になってもポーカーやブラックジャック、セブンブリッジなどのカードゲームをする方も少なくないと思います。
こういうカードゲームの場合、最初に配られた手札について運不運とかを云々することがありますよね!?
最初に配られた手札が良いと、おおお!運が良い!とワクワクしたりしますし、
良くないと、今回は運が悪いなぁと思ったりもします。
まあこれは至極普通の反応だと思います。
がしかし、
これをどう感じるかで運不運がある程度決まってしまうというのが、人の人生においてもいえるんじゃないかという考え方もあります。
つまり、生まれてきた時点(配られた手札)で、先天的な障害(良くない手札)であったとしても、
親御さんがそれをどう解釈するかでその子の人生はある程度決まってしまう可能性があります。
こんな障害があるのだから不幸になるに決まっていると思うのか?
この障害もひとつの個性と捉えて、自分の子どもとして生まれてきてくれてありがとう!と思えるののか?
ぼくには、子どもさえいないし、障害のある子どもを持つ親御さんの気持ちなど知るよしもありませんが、
書籍や友人の話などをきいたりした限りにおいて、
子どもに障害があるという事実を受け入れるのは、とても厳しいようです。
これは後天的に障害を持ったり、難病になってしまったり、
子どもの頃に親から虐待やネグレクトを受けたことで愛着障害になってしまったり、
大きな災害や事故に巻き込まれてしまった人たちにとっても、
同じくすぐには、受け入れ難い事実だと思います。
ぼくはうんちマンと生きるようになってから、
障害や難病当事者の方々と出会いお付き合いをさせていただく機会が圧倒的に増えたので、
自分自身は軽度の色弱という障害以外には障害や病気もありませんが、ご自分にまったく障害のない方や身近に障害や難病当事者の方がいらっしゃらない方に比べれば、多少はマシかもしれません!
それでも、若い頃には美術の世界を目指していたので、自分が色弱であることを思い悩んだこともありました。
色弱をどうしても個性とは思えない時期もありましたし、色弱ことをカミングアウトする勇気もありませんでした。
なぜならば、そのことによって職業選択の自由がなくなったり、やりたいことが実現できなくなったりすると思っていたからです。
とはいえ、そのコンプレックスをバネにして試行錯誤した影響もあったのか、学生時代に大きな賞をいただいたこともありました。
当時はリトグラフという版画をつくっていたのですが、
いま思えば、版画による多色刷りというのは、
右脳的な感覚というよりも計算によって色のバランスを左脳的に考えたりしやすかったので、
色弱であることも功を奏したのかもしれませんねヽ(´ー`)ノ
授かった自分自身の肉体や境遇をはじめとして、目の前にある問題をどう捉えるかで人の人生は決まってしまう面もあるかと思います。
ぼくの人生の中では、世間一般でいわれる良くないとされていること(長年の家庭内騒動、会社の経営危機等)が、かけがえないの仲間達との出会いを導いてくれ、今ココにある幸せに至っていると確信しています。
それでも今の現状に感謝こそすれ、この幸せに執着せず、目の前に立ち現れたことをすべて受け入れて、一所懸命に生きています。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も一所懸命でいられますように(*゚▽゚*)