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「信じて、期待しない」は肯定的には「慈愛の気持ちで見守る」

「信じて期待しない」は、後半が否定的な表現になっていて、おや!?とは思わせるの効果はある。がしかし「信じて、慈愛の気持ちで見守る」の方が真意が伝わりやすいと思う。

 

「思い通りにならなくて悩むのなら、思わない」という考え方もある。

 

思わないも否定的な表現なので、肯定的な表現にすると「心を空にする」という感じだと思う。

 

「信じて、期待しない」⇒「信じて、慈愛の気持ちで見守る」

 

「思い通りにならなくて悩むのなら、思わない」⇒「思い通りにならなくて悩むのなら、心を空にする」

 

両方とも肯定的な表現にした方が、なんだか宗教的な雰囲気が漂ってくる。

 

 

 

いやそれにしても、ぼくは恵まれていると思う。

 

ものすごく恵まれているのにもかかわらず、

 

いつのまにか、

 

身近な人や目の前にいる人を大事にしようとすると、

 

気がつくと自分の思い通りにしようとしてしまう。

 

変えようとしてしまうのだ。

 

それによってストレスを感じてしまう。

 

なぜストレスを感じてしまうのかはすぐにわかるのだ。

 

 

 

心友の湯川鶴章が先日一般社団法人マナビダイスキKickOffイベントで面白いことを言っていた。

 

「4ヶ月悟りプログラム」をやっているので、おかげでどんどん悟ってきている。

 

いろんな問題もある種どうでもよくなってきている。

 

自分はすべてにおいて答えを持っている。

 

問題を解決するにはただ瞑想をすれば良いのだと思ってしまう。

 

とはいえ、いまで十分ごきげん(幸せ)なので、悟りたくはないんだと。

 

 

 

彼はおおむねご機嫌らしいのだが、自分の次男のことで機嫌を悪くすることがあるようだ。

 

昨日、次男に怒っている自分を別の視点から観察していると(中略)自分で怒る状態を維持するという決断をしているのが分かった。自分のご機嫌を損ねても、自分が不幸になってもいいので、マイナスのエネルギーを相手にぶつけたい。怒りのメカニズムって、そういう風になっている。

 

これが身近にいる人なら、マイナスエネルギーは相手をも傷つけるので、ある程度の効果はある。自分も損するけど、相手も損をするという形だ。

 

まさにこの感覚というのはよくわかる。

 

ぼくがときどき母に注意をうながしているときに、あまりに母の言動が予想外というか、まあ本当はまったく予想できないわけではないのだが、いきなり約束を反故にされるようなことがあるときに、

 

確かに自分のご機嫌を損ねてまでも、自分が嫌な気持ちになってもいいので、マイナスの怒りのエネルギーを相手にぶつけたくなって、実際にぶつけてしまうのだ。

 

さらに、実際にマイナスのエネルギーは母にダメージを与えると同時に自分もダメージをくらうので、双方共に損をした気持ちになる。

 

さらに、彼の「4ヶ月悟りプログラム」体験記には、

 

過去の出来事に対してずっと怒り続けている人がいるけど、自分だけがすごく損し続けている。バカみたいな話。

 

 とあって、姉はきっとここから逃れたくて、あの世に行ってしまったのだろうと思った。

 

いま姉が生きていたらぼくは彼女にヨガや瞑想を進めていたと思う。

 

ぼく自身も最近ヨガや瞑想をさぼっていたので、これを気にまた取り組んでみようと思う。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も心安らかでご機嫌でありますように(^∧^)

 

P.S.

湯川鶴章は、先日の一般社団法人マナビダイスキKickOffの「マナコン」でプレゼンをした、志高く誠実な家庭教師のタバティーこと田畑さんを彼の次男の家庭教師をやってもらうことにしたようだ。これが湯川鶴章にも彼の次男にも、さらにはタバティーにも喜ばしいことになることを願っている!