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片づけられない人の掃除のお手伝いをした。

その人とは叔母で、子どもの頃は大好きで、子ども心にもオシャレでセンスの良いと感じていた叔母の家に泊まりに行っては、寂しがり屋で甘ったれだったぼくは、夜になると寂しくなって叔母のベッドに潜り込んで一緒に添い寝してもらったりしたものだ。

 

 

 

先日、ものすごく久々に叔母の家に遊びに行った。

 

叔母の家は昭和の頃に建てられた当時はモダンな感じだった一軒家だ。玄関から部屋に入るとキッチンの方からちょっと変な匂いがしたのを覚えている。

 

『あきちゃん、よく来てくれたわねぇ!』(子どもの頃はこう呼ばれていた)

 

…と、子どもの頃に一緒に遊んでもらった話をしたりしてなごやかな時間が過ぎていった。

 

叔母は、ぼくが遊びに来てくれたからといって喜んでくれ、熱心にお茶を出してくれたりお菓子を出してくれたりするだが、多少足腰が弱っていて大変そうなので、

 

お茶のおかわりをしようとしたときに、

 

「叔母さんぼくがやるよ!」とキッチンに行こうとすると、

 

『そっちには行っちゃダメ!』というので、

 

「ええ!?なんで?」と言ったときにはキッチンのドアを開けていた。

 

そこにはいたるところに食器や食品、キッチン道具などが所狭しと積み重なり、異臭というか腐敗臭が漂っていた。

 

 

 

 

叔母は高齢でひとり暮らし、週に1回ヘルパーさんが来てお掃除をしてくれるそうだが、キッチンまではしてくれないそうなのだ。

 

『ああ、そこは見られたくなかったのにぃ。汚いでしょう。あきちゃんはきれい好きだから見られたくなかったんだ』と叔母は悔しそうに言った。

 

 

まだ1人で料理などしているということで、毎日使っているそうだが、恒例で足腰もおぼつかないためにちゃんとお掃除ができないそうなのだ。

 

叔母は『恥ずかしいからそのままにしておいて』というのだが、

 

このままにしておくのは衛生的にも叔母の心身の健康にもよろしくないと思った。

 

「叔母ちゃん、恥ずかしいことなんか全然ないよ、誰でも年をとって体が不自由になったらよくあることだよ!ぼくにお手伝いさせてくれないかな!?是非させてください!」と言うと、

 

叔母は渋々ながらも承諾してくれた。

 

それから2,3時間かけて掃除をさせてもらった。

 

腐敗していた食品類を全部大きなゴミ袋に入れ、

 

レンジや調理台やシンクなども、いろんな種類の洗剤を駆使して掃除をしたら、キッチンは見違えるように綺麗になってスッキリした!

 

叔母も喜んでくれた!

 

とはいえ、まだ食品満載の冷蔵庫や食器棚までは手が回らなかったので、また近々いって掃除をしてこようと思う。

 

 

 

人は年齢に関係なく、孤独を感じて引きこもりがちになると、部屋が汚くなって、精神に支障を来すことが少なくないと思う。

 

叔母も若い頃は明るく気さくで優しい人だったので、人付き合いも多かったらしいが、

 

高齢になって友達も病気なったり、他界したりして、どんどん孤独になっていったのだと思う。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって今日も「そ・わ・か」の一日でありますように(^∧^)

 

P.S.

「そ・わ・か」とは小林正観さんのお言葉で、そ:掃除、わ:笑い、か:感謝の略語です。