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幸も不幸も存在しない、そう思う心があるだけだ

このブログタイトルも小林正観さんのご本からの引用です。

 

人は自分の思いがあり、それを自分の思い通りにしようとするから、悩み苦しむのだといいます。

 

思いがなければ、人は苦しみ悩む必要がなくなると、

 

思いがなくなるということは、すなわち、なにごとも受け入れるということです。

 

受け入れることがもっとも楽になることなのだといいます。

 

お釈迦様も般若心経の中で実はそのことだけを伝えたかったのだといいます。

 

 

 

コップに水が半分入っていることをどう思うのか!?という話しは有名ですが、仮にこれが砂漠での出来事だったりするとわかりやすいのだと思います。

 

1.「なんだ、コップに水が半分しか入ってない⤵」と思うのか?

 

2.「おお!コップに水が半分も入っている⤴」と思うのか?

 

3.「誰かがコップに水を半分も残してくれた!ありがとう!」と感謝してしまえるのか?

 

つまり、これは世の中のあらゆる現象の象徴なのだと、

 

恋愛成就・失恋、合格・不合格、就職・失業、起業・倒産、結婚・離婚、健康・病気、日常・事故、平穏・災害etc.

 

あらゆることに不平不満を言わず、喜びを見いだし、感謝することができるようになると

 

イイカンジになるのでしょうと。

 

また、その先にあるのは徳のある状態で、人から感謝される「太陽のような人」になることなのだといいます。

 

 

 

とはいえ、こうなるべき!ならなければならない!ではなく、どうやらこういうことらしいですよとヽ(´ー`)ノ

 

どうやら、世の中はそういう仕組みになっているようですよヽ(´ー`)ノ

 

ということを小林正観さん伝えておられたのだと。

 

 

 

人を脅してなにかをやらせても2割の力しか発揮できない。

 

人を褒めてなにかをやらせると8割くらいの力を発揮できるようになる。

 

人が勝手に面白くてしかたがないとなれば10割以上の力を発揮してしまう。

 

ということです。

 

 

 

努力しろ!頑張れ! そうでないと…、

 

稼げる大人になれ! そうでないと…、

 

好きなことを見つけてどんどんやれ! そうでないと…、

 

暗黙のうちに。

 

そうでないと…「ダメなヤツ!」「価値がない!」「役に立てない!」と

 

脅されているように感じる子どもも大人も少なからずいるのではないでしょうか?

 

 

 

ぼく自身、まだまだ否定的な面もたくさんあるし、感謝の気持ちも足りないし、執着もたくさんあります。

 

がしかし、

 

以前にくらべると(以前が酷すぎた説もありますが)少しはマシになったかもしれないなぁと思えるときもあります。

 

おかげさまでお金の心配もしなくて良くなったし、

 

怒ったり機嫌が悪くなったりすることも少なくなったと思います。

 

 

それは、まずまわりの家族や人や物や事にも、

 

イイカンジの朝が来たり、嵐の朝が来ても、

 

ああこうして朝が迎えられることってありがたいなぁと、

 

以前よりは感謝できるようになってきたことが大きいように思います。

 

 

 

ぼくは人は、

 

学校に行けなくても、

 

会社に行けなくても、

 

稼げなくても、

 

好きなことや、やりたいことがなくても、

 

人の役に立てないと思っても、

 

人より抜きん出たなにかがなくても、

 

そのままでありのままでいいから、

 

なにごとも感謝の気持ちで受け入れられる太陽のような人になれれば、

 

勝手に“なにものか”になると思うし、イイカンジの人生を生きられるようになると思っています。

 

さらに、その方がこのありがたい世の中も、もっとイイカンジになるような気がしていますヽ(´ー`)ノ

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も当たり前にできていることに感謝できる一日でありますように(^∧^)