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禍根は受容すると消えていく

先日友人と話していたあらためて思ったのですが、

 

禍根、つまりわざわいの原因や源みたいなものが来たら、来るものは拒まず、受け入れていけば、やがて小さくなったり、なくなったりして、むしろ逆に幸せになれます。

 

実際にぼくはビビリながらも思いっきりやせ我慢をしてそうするようにしてから、結果としてドンドン幸せになっています!

 

 

 

以前は、できるだけ禍根を避けるように生きていました。

 

避けるようにしていると、逆に禍根は近づいてきたり、むしろひどくなったりすることが多いように思います!

 

 

ではなぜ人は禍根を避けるのか!?

 

それは“恐れ”から来るのだと思います。

 

“恐れ”は、人をゆがめます。

 

“恐れ”は、人を執着させます。

 

“恐れ”は、恐れている人に恐れを気づかせません。

 

“恐れ”は、ぼくたち人間に、未来への不安、過去への後悔、他人への不満、自己への嫌悪という形でやってきます。

 

その結果、“恐れ”は、人に過大なストレスを生じさせ、負のエネルギーを増長させます。

 

 

 

 

ぼくは人は幸せにさえなればそれで良いと思っています。

 

“幸せとは!?”

 

幸せであることを実感でき、やりたいことがあり、そのために今を一所懸命に生きている。

 

こういう状態だと思います。

 

 

 

また、自分の思うように人を動かそうとしたり、自分だけうまいことやってやろうとしても、少しの間はうまく行くように思いますが、それは長続きしませんし、長続きさせようと思うと、必ずどこかに歪みが生じて不幸になります。

 

 

 

 

それにしても最近つくづく思うのは、自分が差別されたり、弾圧されたり、虐待されたり、戦禍に巻き込まれたりするような境遇ではなく、平和な時代のこの日本という国の、さらに、あんがいイイカンジの両親の元に生まれ育ち、幸いにも大災害や大きな事件や事故、大病などにも遭遇することなく、これまで無事に生きてこられたことは、それだけで超腸兆ラッキーで幸運だということです。

 

今後もそういうことが自分に起きないかといえば、起きる可能性は十分にあると思っていますし、いますぐ大地震が起きてもおかしくない国に住んでいるのだという認識もあります。

 

また、自分のまわりに不幸な事件や事故に遭遇した人がいないかといえば、

 

そんなこともなく、不幸にも自ら命を絶ったり、原因不明で突如亡くなったりする人もいます。

 

日頃の行いが良いとか悪いとかに関係なく、禍根はいつの間にか近寄って来たりするのだと思います。

 

 

 

おかげさまでいつもとても幸せなぼくですが、この幸せがいつまでも続いてくれたら超腸兆ラッキーだとは思いますが、いつまでも続くことの方が珍しいとも思っています。

 

つまり、いまの幸せをありがたいとは思っているからこそ、いまの幸せに執着はしていないつもりです。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって毎日がありがたいことの連続でありますように(*゚▽゚*)