父から学んだ愛の正しさ

こどもの頃から学校はあまり好きじゃなかったです。

 

お役人もあまり好きじゃなかった。

 

学校の先生もお役人も同類みたいなつまらない人たちなのだろうと勝手に思っていました。

 

 

つまり、決まりを守らせようとか、型にはめようとか、上から目線で言うことをきかせようと自分に向かって来る人たちにどうしても好感がもてなかった。

 

その中でも、大嫌いだと思ったのが、中学のときに行った塾の先生達でした!

 

たぶん、夏期講習だったような、ちょっとスパルタっぽい学習塾だったのかもしれませんが、上から目線で、高圧的であっという間に嫌いになって、すぐに初日で辞めました!(いま思うとお金を払ってくれた両親には月謝をムダにしてしまったと思うので本当に申し訳ないことをしたと思います)

 

「バカヤロー!オマエラの言うことなんかきいてたまるか!オマエらビジネスで塾やっているんだろう!?それなのにお客に対してその高圧的な態度はなんだー(*`Д´*)」的な捨てぜりふを吐いて、やめたような、そこまではしなかったような、記憶はあいまいですが、気持ち的にはそういういきどおりを感じていたのをいまでも覚えています。

 

 

 

母親のテコちゃんは、そんなバカな息子でも可愛かったのでしょう。家庭教師をつけてくれました!

 

その先生はたぶん大学生だったと思うけど、クラッシックギターをやっていて、とても温厚でていねいな雰囲気のやさしい先生でした。

 

勉強だけでなくクラッシックギターも教えてくれたのですが、音楽の才能がなかったぼくは、ギターも成績もちっとも良くなりませんでした。

 

クラッシックギターというのは爪を磨いて爪で弦をはじくので、爪を伸ばして爪をていねいに磨くのですが、

 

いまだに残っているのはていねいに爪を磨く習慣だけで、たまに爪を磨きながらその先生のことを思い出します。

 

ひねているのにもかかわらず、ありがたくも恵まれていた少年時代でした!

 

 

 

こういう性格は恐らく父親の遺伝だと思っています。

 

先日の「学び2.0の想いの連鎖に感謝」というブログで『鏡の法則』のことを思いだしてリンクを貼ったら、

 

友達からこういうメッセージをもらいました!

 

 

「鏡の法則」読みました。泣けました。

 

自分の両親はもう他界しているけれど、やっぱり今起きるイヤなことには、両親同士の関係と、 私と両親との関係がすごく影響してる自覚があるので…

 

そんなにイヤなことは起きてないけど、時折、魚の骨が喉にひっかかったみたいに起きることがあるのです…放置しておいたらいけないですね…

 

ありがとうございました✨

 

 

ぼく自身、こどもの頃から父親には反抗ばかりしていたのに、父親はなにも言わずに役に立たなそうな美大の大学院まで学費を払ってくれたし、ぼくの進路についても一切なにも口出しをしなかったと思います。

 

晩年になって父は病に倒れ、一命を取り立てたものの、後遺症が残り不自由な体になってしまいました。

 

そうなってからもぼくは父に迷惑をかけるようなこともあり、その割にぼくは父に「もっと母の言うことをきいて、静養していなくちゃだめだろう!」とお説教みたいなことばかり言っていたので、父から煙たがられていました。

 

 

そんな父が病に倒れて5年後に他界してから思ったことは「父はいつも愛ある正しい判断をしていた」ということです。

 

「愛は観察」だと、先日友人から教えてもらったのですが、そのとおりだと思います。

 

子どもの頃から父はぼくら子どもには、あまり興味や関心がないのだろうと思っていましたが、忙しく働きながらも、きっとちゃんと「愛ある観察」をして、つど正しい判断をしてくれていたのだろうと思います。

 

たぶん大学院の頃だったと思いますが、将来の進路含めて思い悩んでいたぼくに

 

『おまえ金のためになんか絵を描くんじゃないぞ!』

 

といつも家族のために一所懸命に働いて稼いでくれていた父が言ってくれたことばをいまでも覚えています。

 

 毎月妻のひだまりに急かされてお墓参りに行っているのですが、この連休は進んで父と姉のお墓参りに行こうと思います。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

ぼくたち人間にとって心から感謝できることが今日もありますように(*゚▽゚*)