悩むのは楽して生きてきたツケである

この言葉は一年以上前にある信頼できそうだと思った人に勧められて買った加藤諦三さんの著書『「本当の自分」はどこにいる』~自分探しの心理学~という本の中の言葉です。注文履歴を調べてみたら昨年の春でした。勧められたのが誰だったか忘れてしまったのですが、その方が『ぼくの人生を変えるきっかけになった本だ!』ということで買ったのですが、そのまま積ん読しておりました。

 

自分の中で、人間なにはなくとも「ジブ知る」だ!本当の自分を知ることが大切だという思いがどんどん高まって、あらためて自分の本棚を見たら、『「本当の自分」はどこにいる』があったので、手に取ってみました。

 

とはいえ、まだパラパラとしか読んでいませんので、えらそうなことはいえませんヽ(´ー`)ノ

 

 

 

『悩むのは楽して生きてきたツケである』というのは、すべてに当てはまるわけではありませんが、ある意味において本当にそうだと思います。

 

また『楽して生きようとするから悩みすぎる』とも書かれていますが、

 

確かにそういう面は少なからずあり、過去を振り返ってみて、うまくいかなかったときや、窮地に追い込まれたときは、

 

たいがいそういう悪魔のささやきに本当の自分がそそのかされたというか、

 

どこか本当の自分を誤魔化して、悪魔がささやいている楽そうな道に足を踏み込んでしまったりした結果、いやな結果がまっているのです。

 

またうっすらとこんなことしてもうまくいかないんじゃないかなぁと思っていた自分もいるのに楽して生きようとする自分が誤魔化してしまうのです。

 

 

 

逆にうまくいったと思うときは、やせ我慢だとしても“相手を信じよう”、“相手を信じる自分を信じよう”とか、

 

気がついたらどんどん勝手に踏み出してチャレンジしていたときだと思います。

 

結果としてものごとがうまく運んだと思ったときは、ある意味無我夢中でした。

 

そういうときは、楽して生きるという感覚はむしろなく、むしろ困難に挑もうというか、やるっきゃない!的な気持ちがどこかおなかの底から湧きだしてくるような感覚があると思っています。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち人間にとってむしろ困難に挑もうという気持ちが湧き出てきますように(*゚▽゚*)