イヌが洋服を着る「あたりまえ」

「あたりまえ」は変化していく。

 

ぼくが子どもの頃は洋服を着ているイヌはほとんどいなかった。

 

サーカスや曲芸に登場するイヌとかしかいなかったと思う。

 

それが今は東京の公園ではふつうに見かける。

 

そう、あたりまえは少しずつ変わっていくんですね。

 

 

今は夏に35°越えるのはあたりまえ。

 

友達によると…、

 

今は大学の入学式や卒業式に親が参加するのはあたりまえ。

 

今はペットもコンパニオンアニマル(家族、友達と同じ存在意義)ということで高額の医療費をかけるのはあたりまえ。ぼくの友達は1年か2年飼っていた猫の医療費に数百万円かけたと言ってました(^0^;)

 

あと10年もすればいまスマホで多くの人がSNSをするように英語をしゃべれるのはあたりまえ。

 

そのもう少し先には、スゴい翻訳機が開発されていまのスマホみたいに普及して、語学を勉強しないのはあたりまえ。になるのかもしれません。

 

そう!あたりまえなんて変化しているものなんです!

 

2050年くらいになったら「うんちマン」はあたりまえに見かけるようになるかもしれません(^0^;)

 

 

 

冗談はさせておき、

 

この「あたりまえ」というのを疑ってみようということで猿シャワーという例えがあるそうです。

 

 

自覚なしに旧弊にとらわれているたとえ。

 

すでに存在しない障害や過去の成功体験に縛られること

 

オリのなかの木にバナナをつける。

 

猿を3匹入れる。

 

バナナをとろうとして木に登ると「シャワー」を浴びる仕掛けをつける。

 

一匹が上ると全部の猿が水を浴びていやな経験をする。

 

猿を一匹入れ替える。

 

新しい猿が木に登ると他の猿が足を引っ張って止める。

 

シャワー経験のある猿をもう一匹入れ替える。

 

やはり新しい猿を残りの猿が止める。

 

これを繰り返すと

 

すべての猿がシャワー経験が無いのに、お互いに足を引っ張るようになる。

 

 

しまいにはシャワーを取り外してもバナナを取りに行かなくなるらしいです。

 

「よそ者・バカ者・若者」が社会を変えるとは言いますが、そういう人たちは、空気を読めない、その社会のあたりまえを知らないので、素朴な疑問からイノベーションが生まれるということだと思います。

 

ぼくはこないだ「学び2.0プロジェクト」の仲間であるあっこちゃんこと高橋明子さんから『知識をバカにしちゃいけない!』とお𠮟りを受けましたが、

 

確かにぼくには知識よりも直感とかを重んじる傾向があります。たぶん、人として「よそ者・バカ者・若者」系だからなのだと思います。

 

バカにするというよりも否定的に受けとられたのでしょう。

 

すべてのことを肯定的にとらえ、敬意をもって、素朴な視点や別の観点からの意見を提案することがとても大切だと思っています。

 

それこそがダイバーシティな仲間達とイノベーションを起こしていく必須要件だと思っています!

 

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち人間がどう転んでも肯定的な提案をできるようになれますように(*゚▽゚*)