成長の比較は本能。その上で幸せとは…

昨日は大好きなえみねーちゃんこと平野恵美さんが主宰しているらしいHRBARという対話の場に参加させてもらいました。

 

意図的でなく偶発的に出てくる話題をその場に集まった人たちで対話していく会なのですが、もう5年も続いているらしいです。続けるのはスゴイ!

 

その中のテーマで、

 

人はというか、生きとし生けるものは、勝手に成長したり、発達したり勝手にするものなのだと思う。

 

それはもう自然の流れというかそういうもので、

 

どっちが成長したとか発達したとか、人と比較したりしなければ良いんじゃないかということに落ち着く的な感じになりました。

 

でも比較しちゃうんだよねぇヽ(´ー`)ノ

 

とくに若い頃はしちゃうんだと思います!

 

 

 

それは、植物にたとえれば

 

種がまかれて→芽がでて→葉が育って→花が咲いて→花がしぼんで→実をつけて→種ができて→枯れる

 

という流れの中で、

 

植物を観察していると花が咲けば、蜂や虫なんかに受粉をしてもらいたがるように、花はもっと前に出たいとか、もっと太陽の光を浴びたいと思わせるように他の花より生長したいと思っているというか、きっと本能的にそのように育っているように見えます。

 

たぶん、ぼくたち人間が(そういえば昨日『うんちマンも人間なの!?』と言われましたが(^0^;))

 

自分と他人を比べてしまうのは本能なのだろうと思います。

 

人より目立って成長して優れた遺伝子を残したいということなのでしょう!?

 

なので、人として、

 

生まれて→遊んだり→学んだり→恋愛したり→活躍したり→子ども作ったり、育てたり→成熟して→死ぬ

 

みたいな一生の流れの中で、

 

本能に抗って生きていくのはそれは険しく厳しいことなのでしょう。

 

というわけで幸せになることは人の本能に抗う面もあると思うので、幸せになろうとすると波瀾万丈になったりするのでしょうね!

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

ぼくたち生きとし生けるものにとって今日も今日でありますように(^∧^)

 

※人の一生の流れで「〇〇したり」という表現にしたのは、したり、しなくてもOK的な意味合いを含んだつもりです。