友達がハッピーになったりビッグになったり超腸兆メチャクチャイイカンジになったりすることを純粋に喜べる(↑∇↑)
若い頃は、表面的には喜んでいても、内心は「あいつは凄いけど、それにくらべて自分はなんて才能がないんだろう(^0^;)」、「あいつは性格も大らかでイイカンジだけど、自分はあーでもない、こーでもないって小さいことをオレはグチグチと考えてしまうのだろうか(^0^;)」、「そういう自分はなんて器が小さいのだろう」、「なんでオレはこんな狭量な人間になってしまったのだ(゚◇゚)ガーン」などと、最近よく使う雑念のドーナッツとか煩悩のジャンクフードをむさぼり食っていたのであった(;゚ロ゚)
今朝は、ハッピーなニュースが2つもありました!
パラリンピック銀メダリストでパラアイスホッケーチーム日本代表選手の上原大祐さんが平昌パラリンピックへの出場権を予選3連勝で勝ち取りました!凄すぎますよね!?
珍友の超有能で愛あるAIジャーナリストの湯川鶴章が『AIスピーカーが変える近未来』というテーマでTV番組に出演していた!素敵にくまのプーさん風インテリでした!
とくに、うんちマンとして生きるようになってからは、以前に比べると雑念のドーナッツに興味がいかなくなったように思います。
ぼくがなんでうんちマンであること、いることが心地よいのかっていうことを、いまフト思いついたんですが、たぶんそれってうんちマンが一般的にいわれているブルーオーシャンだからなんだと思います。つまり競合がいないというか、比較されにくいというか、よくわからない感じだからなんだと思います。
まあゆるキャラとか芸人さんとかピコ太郎とかとくらべられたりすることもあったり、下北沢ではカレーマンと間違えられたりもしますが(^^ゞ
がしかし、人もうらやむというか、人もさげすむうんちだし、うんちマンとして生きることは多くの人にとってとてもハードルの高いことなので、おおむね唯一無二的な存在であり、ぼくはブルーオーシャンならぬゴールオーシャンと呼んでいます。
それに、以前にも書いたのですが、ぼくがうんちマンであること、もしくはうんちマンになった経緯が意図的というよりもごく自然な成り行きだったという、ある意味小さな発明だったということも重要な要素だったと思っています。
うんちマンはまだ職業としてはちゃんと機能していませんが、ぼくはうんちマンとして身を立てる!覚悟です!それはこれまでにも書いてきましたが、いまもその気持ちに変わりはありません。
これってきっとぼくにとっての天職なのだと思っています。多くの人にとって、本当はこんな風に生きたいけど、家族があるから…、まだ子供が小さいし…とか、世間体があるし…とか、それじゃあ収入が足りないしとか、安定しないし…とか、いろんな障壁や実現可能性が低そうなことがたくさんあると思いますが、それってそう思っているだけかもしれませんし、そのとおりかもしれませんが、ちょっと角度を変えて世の中といわれている中に存在している自分を少しはなれた視点からみるのもいいかもしれません。
ぼく自身、うんちマンがちょっとズルいと思うのは、過去に比較するものが少ないし、しにくい、うんちマンが職業かどうかもわからないからこそ、面白いんじゃないかと思っています。
見た目とかに関係はなく、なにかよくわからないものやことを職業というか生業として生きていくことをゆるしてもらえる時代になってきているような気がしますし、自分で職業を作れる、そういう包容力のある時代にしていけるといいなって思います。
「ダイバーシティーな幸せのハロウィン1000人フラッシュモブ!byうんちヒューマン」もそんなことを、実際にうんちヒューマンになってみて肌で感じてもらえればなぁという想いもあるのだと思います。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
今日の東京はちょっと寒いので、くれぐれもご自愛くださいね。