ひっこみじあんで内弁慶で甘ったれ!

こどもの頃、ぼくは父の転勤で「とある日本の地方都市」に小学1年の入学時に移り住みました。

 

ひっこみじあんで、内弁慶で、甘ったれだったので、学校では気配を消してようすをうかがいつつ生きていました。

 

ぼくは、元々東京生まれなのですが、別の地方都市からその「とある地方都市」に他の地元のこどもたちと同じように新入生として1年生から入学したので、地元民でなかったわりには、あまりイジメられたり、バカにされたり、からかわれたりしませんでした。

 

がしかし、

 

たまに東京から転校生が入ってくると、東京のことばで話し、地元のことばがしゃべれないだけでバカにしてイジメられたりしていました。

 

それは元々東京出身のぼくのこども心に居心地が悪く理不尽に思える出来事でした。

 

そういう理不尽に思える出来事や小3のときに担任だったとても厳しいながらも親身になってくれる女の先生のおかげで「ひっこみじあんで内弁慶で甘ったれ」だったぼくは、

 

いきなり学芸会の主役に名乗りを上げて選ばれ大役を果たし、

 

その後は活発になって、東京からの転校生を集めてグループをつくって、

 

こんなことで人をいじめるようなヤツらはクソだよな!とか

 

地元の名士の息子で学級委員長でカッコイイ!

 

でもちょっと意地悪な子の誕生会に呼ばれなくてもオレたちは平気だよな!

 

とか強がりをいいながらもちょっと羨ましく思い、

 

ひとり親のお母さんが水商売で成績が悪かった地元のいじめられっ子まで助けたりしていました。

 

 

 

 一見これって美談のように思えるかもしれませんが、

 

自分の世界観が狭かったぼくは「自分は“くだるヤツ”だ!」と勘違いして、ココの地元の人たちの多くのは“くだらないヤツ”らなんだと思い込んでしまっていたのだと思います!

 

いわゆる悪しき「分断」意識「選民」意識の芽ばえだったのだろうと思います。

 

人は自分と相容れなかったり、不都合な考え方をもつ人たちとの“違い”ばかりに意識がいってしまいます。

 

これは自己防衛本能から自然発生する意識で、結果的に対立構造を生んでしまうのだと思っています。

 

 

たぶん学芸会で主役を果たしたぼくもまだ自分に自信がなく、きっと不安だったのだと思います。

 

なので自信のない自分の立場を補強するために「自分こそが正義だ!悪いのはあいつらだ!」と思い、このような行動をとったでしょう。

 

このような意識はいまでも自分の中に残っていると思いますし、多くの人々の中に潜んでいると思います。

 

 

だからこそ、自分に不都合だったり違った意見や考えがあるときには、いったん自分の立場や都合を置いて、相手の立場になってお互いの共通点を見いだせる人でありたいと、思っていたりしています。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

ぼくたち人間にとって今日も気づき多き一日でありますように(^∧^)

 

P.S.

昨日は父の日でしたね。ちょうどそんなこどもの頃、父親にもとても反発していて「ぼくは絶対パパみたいなサラリーマンにはならないからね!」と言っていたぼくは、いまとなってはぼくの生き方を一切否定せずに応援してくれた父の懐の深さを感じています。

まあその結果がうんちマンとは!?父も生きていたらどう思ったでしょうね(^0^;)